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An Opening From Two Pieces

あと一年半で三十路を迎えます・・・
特に感慨深いとか、年を重ねる憂鬱みたいなのはありません。
ああ、ただ「三十なんだな・・・」みたいな、一種不思議で温度の無い空気が漂っています。
わっかを創めて、一頭最初に出来たオリジナルが「26」という曲。
実はその数字、当時の私の年齢です。つまりわっかを創めてもうじき三年なんです。
長いのか、はたまた短いのか。
就職を持ち、音楽だけに囚われずに流れた三年という時間。
メンバーと五里霧中ながらに歩んできたこの三年間。
それでもいつでも必死にやれるだけのことはやってきました。
「人に聴かすにはまだまだ程遠い」と妙な疑心暗鬼の中、練習をした一年を経て、
気恥ずかしさと、今にも押し潰されそうな勇気を携えながら挑んだ1stライブ。
時は経ち、念願であるギタリスト加入。そしてギターを入れてのライブ実現!
どれもが忘れ得ぬ軌跡であり、今のわっかの礎だと思います。基本ゆったりとしたペースで
活動しているわっかですが、やりたいこと・すべきことには執着的な勢いを見せます。
音楽的な見地からいえば・・
懐かしの純邦メロディを恥ずかしげもなく歌うボーカル&ピアノ。
ゴスペル的多重女性コーラス、時にメインボーカル。
わっかの核となるロック叩き上げドラムス。
囀りながら頭角は現さず、プレイに直向なベーシスト。
そしてシャイな爪隠しのギタリスト・・・
何か今しかあらヘンって気がしました。結束って言葉が見合う時期には
まだ時間はかかる気がしますが、そんなんはどうでも良い。
音を記録したい。今のわっかを記録したいと思いました。
まずは2曲!最高傑作とか関係なく、ただ単に決まったその2曲をレコーディングします。
いつものように必死と努力を糧に頑張ります。
聞いてくださる方のために創りあげたいと思います。
わっかとしての足跡の一つをどうか、感じてください。
名刺代わりとなるCD製作なだけに、アレンジを考える重圧だけで嫌気がします
。
でも出来上がった時と、皆さんに手配りする時の感動を思えば、
それは単なる自分のエゴによる怠慢なだけで、なんら辛い事柄ではありません。
三十路の手土産を今の私が用意するならば、「今の私が何を遺したか?」
という生き様しかないと思っています。
結局死ぬまで自分は自分なんだから、自分の歴史くらい誇ってやりたいです。
でもそれは死ぬ寸前だけで良いです。
余り過ぎると、ただのナルシストに成り下がります。
気をつけましょう・・・・・・あ、はい気をつけます。
2008/3/23| Kawauti |
花開く

歌詞の創作ってほんま難しい。
こればかりははまってはいけないBEST3に入るんではなかろうか?
日々聞き流しの音楽を参考にしてみるけれど、どうやら最近のシーンには合っていないんだろう。
何故か、一昔の歌詞ばかりを教本にしてしまう。
もちろん自分なりのアレンジと独創性を織り交ぜる・・・しかしこれがいつもイタイ結果に
つながってしまうんです。
「あんま意味がわからん」「小難しい単語使いすぎ」「何につけて暗い」
客観視されればされるほど、説明に困ってしまいます。
敢えて書きたい事柄も、十二分に意味を含んでいるように捉えられて、その意味なんか
実は無かったりします。
でも書いた以上その歌詞にどんな意味合いがあるのかと問われれば
答えざる義務があるのもいたし方ありません。
あんま歌詞なんかじっくり読まなくともいいんではなかろうか?というのが、持論です。
もしも身近に歌詞を書く才能がある方がいて、それに肖れるならばすっとんで行きたいです。
しかもそれは歌詞の内容ではなく、如何にしてその歌詞が生まれるのか?その工程が見たいんです。
普段の生活にそのヒントが隠されているのか、それとも瞬間的にひらめく才能だけに
預けているのか。あああ、知りたいです。
真剣に取り組みたい作業の一環だけに、あやふやには出来ず、ただ閲覧できるプロの歌詞
ばかりを参考にしています。
でもそんなんじゃなく、一途に歌詞に取り組む姿勢を持った人に出会いたいというのが本音です。
わからない歌詞の創作に業を煮やす日々が続けば続くほど、有り余る生命力が磨り減る感覚です。
過剰な反応だといわれれば、そうかもしれませんが、些か的外れだとも思っていません。
真に過酷な作業です。
しかしながら、認められれば思いのほか、花開くという分野だというのは皮肉にしか思えません。
出来上がりに期待されてしまうことへのプレッシャー。そのプレッシャーが良いほうに転ぶか
否かは時と場合によります。
いつのひか、そのプレッシャーをもはねのけて、どんな意見にも左右されない自分に
巡り会える!!そう・・・・
思わんとやってけませんね、、、あはは。
2008/2/3| kawauchi |
喜怒哀楽のイロハ

最近自分が無表情になっている気がします。かといって笑わず怒らず、ではなくもう少し
奥深い感情が出にくくなっている気がします。
感動や煽動による興奮。先ずはこれが無くなった。要は打ちひしがれることが無くなった。
とでも言えばいいんでしょう。目先に捕らわれなくなり、慎重に慎重に事を考えてしまう
ようになりました。それにより冒険心は皆無になり、好奇心は寸断。
悪循環が目に見えて起こり、それにより自分に降りかかる不幸はめでたくゼロ。
しかし楽しみも同じだけゼロ。
それでいい、普通がいい、滞りは無い方がいい・・・そんな呪文のような囁きだけが頭に残り
結局自分の中の真実が、網を抜ける魚のように逃げていく。
年齢のせいで済ますにはまだ若すぎる。感受性が減ってきたんだろう。いけない、
それは駄目です。何か逃げの手法を取っているんでネガティブまっしぐらです。
もがけば何かしら引っかかってくれると思う貧乏性があかんのかな〜
笑いはともかく、怒りや悔しさなどの感情が普段余り現れず、仕方なく自宅で放出。
同居人にはほとほと迷惑な話。
でもこないだ同居している方がタクシーで非常に不快な思いをしたらしく、怒り爆発!!
まさかの抗議の電話でしたが、事情を聞けば納得。やはり人間、怒るときは怒らなければ・・
そう思える瞬間でした。
喜怒哀楽は当然の感情なれども、歳を取るたびに色褪せていく気がします。そんな時は芸術
に触れたくなります。見てもよし、創るもよし、何かしらの芸術に身を置くと、喧騒を忘れ
まるで風が体を抜けていく気がします。しかも「サァァーー」って音付きで。
十月に咲く金木犀は秋風に乗り、景色に溶け込みながら冬の到来を私たちに伝えてくれます。
先刻の「奥深い感情が出にくい」という要因は、単に四季の持つ時の経過の素晴らしさ、
そして重要性をないがしろにしていたからでは無いか?
もっと季節に敏感になり、その季節の変わり目にはついぞ自分の立場や生き方を再認識すれば
いいんだろう。
さすれば、迷いは過ぎた季節に置いてゆき、新たな決意を胸に季節を迎えられるだろう。
多少強引ではあるけれど、コレくらい楽観的に構えていた方が楽かも・・・
28歳という年齢が私に教えてくれた気がします。
2007/10/26| Kawauchi |
「Style」

今現在、「わっか」でしている音楽は、いわゆるポップミュージックです。
人となりを謳った歌詞と
人懐っこいメロディ。
演奏はまだまだ発展途上でして、日々の向上が当面の課題。
ワタクシ、カワウソが発起して、ベースのスターとドラムのケンケンを擁して創りあげました。
初オリジナル「26」という曲はスターが初心者という理由で、至極簡単な構成で作りました。
しかしこの曲が思いの他、バンドサウンドを構築していく要となっていったのには驚きました。
そうして何とか曲を量産して、LIVEにまで漕ぎ着けた頃には、女性コーラスも入り、
五人体制になっていました。
各々のプレイに未熟さを感じて、互いにその未熟をカバーしているようでした。
それでもなんとか見に来ていただいてお客様に感動してもらおうと、躍起になっていたのは
紛れも無い事実です。一度として、手を抜いた事はなかったと思います。
でもやはり!!いや、、、これは必然でしょう。ワタクシが最初から描いていた音楽は
この形態ではない事にようやく気づきました。逃げではなく、確かに「わっか」の音楽は
良かった。我ながら褒めるべき箇所もありました。
でも妥協していた節を何かにつけ隠し、そして見栄を張っていたようにも思います。
メンバーに無理を言い、それでもここまで共にやってきてくれたことには感謝しています。
「わっか」はギタリストを入れて、変わります。劇的に変わりたいんです。
今まで半分くらいしか現実には表現出来なかったサウンドを、実に100%まで引き上げたい。
自分の憧れである音楽の高みにまで「わっか」を持って行きたい!!
決してプロになりたいということではなく、ただ純粋に表現したい。
創りあげた音楽に胸を張りたい。
分かりにくい音楽には興味は無く、ただ感動できる音楽を創りたいです。
それにはリズム楽器が要るんです。ワタクシの脳内はギターで一杯です。
ギターってほんまにいいですねぇぇぇ・・・学生時分にしなかったことを恨みます。
2007/9/14| Kawauchi |
「アリとハトポッポ」

「礼儀」という言葉と意味を、久しぶりに感じられた出来事がありました。
それは気まぐれに、単身長岡天神にぶらり行った際の事です。
公園のベンチに腰掛けて、パン屋で買ったマフィンを食べていたところ、
鳩がその行為と匂いに釣られ、数羽飛んできました。
「食べ残しでも狙うんか?」とわざとパンくずを零さずに食べていると、
鳩はそれでも執拗に私の周りを歩き、様子を伺っていました。
そんな中、1匹のアリがほんの小さな食べかすを見つけ、必死に巣に運ぼうとするのを
発見しました。自分のまさに二倍くらいのパンくずを拾い上げ、その強靭なあごで
ドンドン巣に持ち運ぶ姿は、たくましくそれでいて生きるための崇高さも感じました。
しかし貪欲な鳩がそれを黙って見逃すはずがない!とその様子を観察していると、
案の定鳩はアリの持つパンを狙い、傍によっていきました。
アリからすると恐竜ほどの大きさの鳩。それが近づいてきたんだから、さあ大変!
どうやってこの窮地を切り抜けるんだろう?とハラハラしながら見ていると・・・
鳩はアリの周りをうろつくだけで一切パンには手を出しません。
くちばしが動くたび、私は「取る!」「ああ、取られる!!」等と独り緊張していましたが
そんな心配もよそに、アリは悠々自適に巣に向かっていました。
鳩は全然手を出さず、むしろ見守るかのようにアリの傍で「クルックー」と鳴いていました。
それを見たとき、生物界のルールを垣間見た気がしました。
いくら立場が大きくとも、手に入れた獲物を横取りするのは義に反する。
言うは容易いが、実行は困難なこの行為が鳥と無視の間に交わされていたこと。
非常に感銘を受けました。
人にあるであろう「仁義」の数百倍の「義」が確かに存在し、それがいかに今の私に
不足していたのかを、肌身に染みた出来事でした。
出来ることと出来ないことのハードルが最近狭まってはいませんか??
可能性を失くすことほど、悲しいことはありません。人と共に生きているんだから、
人にもっと「礼儀」を尽くしてください。
2007/7/25| Kawauchi |
道標

レオナルド・ダ・ヴィンチはルネッサンス時代の寵児であり、万能の天才であります。
現代にも通用する発明や、夥しい数の人体解剖。鏡文字を使った記述の暗号化。
そのどれもが異彩を放っており、その天才ぶりは67歳の生涯を終えて今なお光り輝いています。
そんなレオナルド・ダ・ヴィンチが死ぬ床で遺書の他、三枚の絵を傍に置いていたそうです。
一枚は聖母マリアを題材にした宗教画、二枚目は若き預言者ヨハネ、そして後の一枚は世界で最も高名な「モナ・リザ」です。
単なる気まぐれか、レオナルドは「モナ・リザ」を手放さなかった。
ある富豪からの依頼により描いたとされている只の婦人の肖像画。
実際、モデルすら今日分かってはいません。
でも遺した!傍において・・・
レオナルドは自分の最高傑作が分かっていたんだろうか??
後世に最も印象を残すのはこの作品だ!!これを残す意味が他のどの作品よりも濃厚だ!と主張する為のダイイングメッセージなんだろうか?
事実は霧の中だが、果たして「モナ・リザ」は多くの謎と神秘、そして作者のレオナルド以上に有名になったという伝説を残す。
今の我々にこうした、過去に残せる何かがあるだろうか??もしくは「この作品を残したい!」と渇望するだろうか?
何となく、意識が少ない気がする。表現の自由に囲まれた現代は、数世紀前よりも規律が少なく、偏見も差別も少ない。
だけども表現力に乏しい。もしも恵まれた環境におかれることが、想像力を阻んでいるのならばこれは由々しき問題。
うつろな瞳で明日を只の時間つぶしにしている気配がする。反応こそするが、回避できない堕落。つまらない日々・・
素晴らしい明日に望むこととは、ただ一日一日が過去を踏まえ成長していくことだと思う。
それには過去の人々の軌跡が最大の道しるべになる。光明が射す、その創りあげてもらった道を歩き続ける!
苦しい毎日に終止符を打ち、ついに立ち上がった自分を褒めるべきだし、もっともっと前えも進める。
翻り考え、その道を引き継ぐか否か。
その選択が明日への架け橋になる。そしてそれがきっと生きていくための責任なんだと思う日が来る・・・・
2007/5/25| Kawauchi |
隙間

もうじき夏。今は初夏にあたります。慌しい季節の変化にようやく追いついた感があります。
時折流れる初夏のイメージを彷彿とさせる音楽、夏本番前に出し控えをしているであろうハリウッド映画。
中途半端が否めない時期だけれども、私としては花粉も落ち着き、気候も無理が無く、とても過ごしやすい季節です。
忘れ路の思い出なんか過ぎったり、ふと十年前の学生時分の面持ちになったりします。
前かがみに生きている学生たちの登校風景なんかを車の中から垣間見ていると、まるで夕日が落ちきらずただ紅い(しかし最も淡い)悠長な線が四方八方に際限なく、それでいて勢いよく背伸びしているように見える。
開放的な時期だ・・余りに奇麗であり、四季の中で最も緑に触れることの出来る期間。
わかってくれるだろうか?心のざわめきがまるで、野に生える草木のように揺れている様を。
夏と言うわかりやすい季節を前に、たった数週間のきらめきをどうか胸に留めておいて欲しい。
眠りについた過去を呼び起し、この季節を見つめなおし、日本の四季の中の春と夏の隙間をほしいままに感じて欲しい。
それは難しくは無く、ただ意識するだけ・・・
難しくは無く、ただあるがままにみつめるだけ・・
2007/5/26| Kawauchi |
力み

人生には力みがある。無理をしない場面ににさえ、力みがついて回る。
それは、日常にとても大事なこと。
ある日、思いついたアイデアを膨らます必要が生まれたとき、大抵その時分には別の用件をしているだろう。
では、どうする??何を優先させる??
それに答えは無い。ある方がおかしい。
ならばそこに生じる強みが建前に当たる。どちらも平穏に済ませたい。
望みをまさに力で押し切ろうとする衝動・・・それが力み。
生きていく最中、誰と何をしようとも、いたたまれない気持ちや、阿鼻叫喚してしまうできごとに出遭ってしまう。そんな時、きっと握りこぶしの汗を感じ、ただただ寡黙に耐えるだろう。
独り朝陽を拝む。多少ナルシズムが表面化したような事態だが、それを実行した勇気にはやはり力みによる、つまりは”無理"がある。
ああああ、一入味わった、羞恥心に苛まれているならば、いっその事火事場にでも飛び込んでやりたい。
力を誇示したいならば、素直な精神と有り余る笑顔の振りまきが要るんだろう。
昇り詰めた太陽に、毎日会えないでいます・・・
2007/4/26| Kawauchi |
おふくろさん
今、巷を騒がしている事件の一つで面白いいのがありますので、ここで一つ。
それは森進一騒動。名曲「おふくろさん」の詩を勝手に付け加えたと、作詞家の川内さんが激怒。
「あれは私の書いたものではない」「二度と歌わせない」等、度を超えたかのような怒りを見せた作詞家に対し、当の森氏は最初は平然とあしらっていた。しかし後日作詞家の川内氏が音楽著作権の協会に「歌わせてはならない!」という申請を出し、通れば二度と「おふくろさん」は世に出なくなると分かった途端、森氏の態度は急変。なりふり構わず謝罪の日々。が、しかし高齢の岩窟親父には全く受け入れられず、門前払い……
はてさて、森進一さん、貴方どないするんですか?と皆が固唾を飲んで見守る。何故なら森氏から「おふくろさん」を取ったら果たして何が残るんだろうと危惧しているからだろう。
ウーン、森進一ってそれだけやったかなあ…何か他にも演ってた気がするが。まぁともかく人間は毎日隣りにある必需品が無くなるだけで、明日も分からぬほど取り乱すと言う事。黙認だと過信していたら、後で手痛いしっぺ返しを食らう。断りや了解の一筆は必要だろう。森氏も昭和の人間なんだし、わきまえて当然の常識。
そして我慢と忍耐で今は作詞家に謝罪しておくべき。いつかは亡くなるのだから、根底から問題が無くなる。哀れ森氏はそれをし損ねた。後数か月は尾を引くだろう。
今回のブログ。ほんまにテレビを見て、失笑しながら思い付いた事を書きました。駄文をお許し下さい。
2007/3/6| Kawauchi |
「わっか」存続の理由
「わっか」という名のバンドを結成して、もう早2年目。短かったのか長かったのかはメンバー各人いろいろでしょうが、どちらにしてもここまで続けられるとは正直思わなかった。
心配の種は三つくらい有った。先ずはメンバー三人か社会人で、時間が取りにくい。二つ目は、メンバーの中に音楽経験が全く無いプレイヤーがいた事。いつ何時匙を投げるんではなかろうか?という心配。最後は私自身が果たして「わっか」のために尽くして、良い曲が書けるだろうか?という懸念でした。
しかし、上記二つは何の問題も無かった。仕事はあるが、皆仕事上がりにも余裕で参加してくれ、初心者の彼も練習を重ね、やる気を見せ、目覚ましい成長。
ただやはり自分だろうか…「わっか」を活かすためにどんな楽曲を書いたらいいのか?相応しさや、今の技術力に見合う曲。考えれば考えるだけわからない。
そんな暗中模索の日々に、はたと気付いた時があった。
それは、曲が自分から離れ「わっか」に移った瞬間、その曲が形を変え、全くの別物になっていた事だ。
これには驚いた!今までこんな事は無かった。劇的に変わったその曲はもう「わっか」そのもので基本手を加える事はない。私の創った『ただの曲』がドラムやベース、そしてコーラスが入ることにより、素晴らしい輝きを醸し出す。
自分の許容範囲を飛び出し、期待以上の結果に結び付く。それは楽曲だけでなく、ホームページにも表れている。自分独りでは絶対、辿り着けなかったここまでの道程。
続けられたのも必然なんだろう。何故なら自分以上に皆が頑張って支えてくれていたのだから。
2007/2/17| kawauchi |
黄金の芸術
名曲を聴くと、いつも現実と比較をしてしまう。特に歌詞に表れるが(実は人は自分の気に入ったメロディが先に頭に入るから、メロディ優先の歌詞になるわけだが)良い歌詞程、実は現実とはかけ離れていると思う。単純に作詞とは、個人主体だし、こじつけに近い世界だと思う。
しかし昨今、感情移入出来た詩が音楽を聴く最大の理由!というリスナーが最近増えている。それを裏付けするようにヒット曲には、誰もが必ず経験しているであろうラブソングや、非日常をさも日常に装い、それを憧れに色だてた詩が多い。つまりが売れ線狙いだ。
確かに今はそれでいいが、一昔前ならば基本アーティスト主体だった。主張、怒り、不満、喜び、嘆き、戦争、様々な感情をモザイク状に表わしリスナーに訴えた。だからこそその時期の名曲は色褪せない。所詮表現者は自分勝手でいいんだ。左右される隙間などある訳がなく、ひたすらに信じた真理を追求するだけ。それに疲れたら止めればいいし、支援ももうせずともよい。
溢れるは才能なのだから、それだけを愛せばよい。与える側も受ける側も。
恍惚に流れ出る黄金の芸術に酔い知ればいい。決して合わせてはならない。
遠吠えをかく私にこそ、いつの日か名曲が書けるだろうか?物憂げな毎日に鞭打ち詩を書き、辺り人に聞かす。ああ、恥辱を糧に今日もステージに立つ………
2007/2/6| kawauchi |
ミュージシャンとしての在り方

昨日本を買いました。何気に取ったその本のタイトルは「音楽ライターが、書けなかった話」と銘打っているもので、序章をスラッと立ち読み、興味をそそられたので購入しました。
さて、その内容。簡略するなら、音楽ライターが様々な音楽家にインタヴューし、音楽に対する考え方、創作過程の葛藤、または憧れ等…特にこの本はジャズマンを多く取り上げ、多種多様なジャズマンを面白おかしく解説している。
そんな本を約一日で読み上げ、ふと感じた事。それは私の周りのミュージシャンとは果たしてどんなだろうか?という疑問でした。アマチュアなので、音楽家ではなくミュージシャン。
私は過去四つのバンドに在籍していて、多様なミュージシャンを見てきました。確かに一風変わった人もいるにはいたけれど、スタジオの日時を忘れるとか、常識的な所はあった。他のバンドの話だと、破天荒なメンバーが一人はいるというのが定説なのに。何故だろう?答えは簡単だ。真面目に音楽に取り組んでいたからだ。だからこその音楽を残せたと自負出来る!(あくまで個人的意見)そして裏付けのように先ほど紹介した本にも、優秀な音楽家ほど、音楽に対して真摯な姿勢があると書かれていた。ふざけた態度、過去の音楽に対しての非難等、何かと音楽自体を欺くミュージシャンは大成しない!みたいな事も書かれていた。
ウーン…確かにそうです。素晴らしい結論だと思う。やはり音楽は個人ではなく大衆性のある芸術だと思う。そうなれば、実演している側に問題があるなら、何かしら聞き手にもそのミュージシャンの問題点が波状してしまう。
我がわっかはそんなミュージシャンはいない!単に一つの目的、それは素晴らしい音楽の提供、そしてライブパフォーマンスを目指しているだけ。
それだけで良いと思う。それ以上は今のわっかには出来ない。でもそれでいい。それだけでいい。わっかの宿命たるものがそれの気がする。
2007/1/19| kawauchi |
偉人反論説
天才、偉人はどうしてそうなり得たか?彼らの成功を我々は目の当たりにした、そして惜しみない称賛、限りあるお金を費した。
何故、何故彼等はそこまでの人物になれたのだろう?果たして凡人と何が違ったのだろう?
カリスマと言えばそれまでだが、それだけでは片付けられない。
その真裏には偉人には似つかわしくない努力が恐らくあったのだろう。人知れず磨いた裁量を発揮した瞬間!彼等は世界の中心に立てたのだ!
いささか強引なつなげではあるが、こう書かなくては辻褄も合わなければ、悲しい想いをするだけだから。その悲しい想いとはたった一つ。
偉人になんかなりたくない!圧力の下で生み出す芸術など知れている。それより偉人になる過程で生み出した血と汗の賜物をいついつまでも拝みたい。偉人とは、偉人になる以前の輝きを二度と取り返せない、不遇な立場にある人物を指すのだろうか。ならばなりたくないな。なれないけど……………
やはり偉人になんかなりたくない!尊敬のまなざしはいらない。ただ認めて欲しい。している事、伝えたい事。それだけでいい。尊敬ではなく、共感。それだけでいい。
2007/1/14| kawauchi |
本能と理性
人知れず、牙を磨く時がある。タイミングはさほど重要ではなく、要はどこまで?どれだけ、磨くか!だ。人間には力がある。それは他の生き物の追随を許さない理性とそれに伴う制御だ。理性は本能には無い知性溢れた決断力や、二の内の一を選ぶ選択力、そして片方を選ぶ事により得られる利得。これを見定める損得勘定。これらに尽きる。
あさはかで野性味無く、味気無いがこれが人間という種族。
しかし敢えて言わせて欲しい。人にはライオンや豹ほどでは無くとも、時に集中力を発揮したならば、それらを凌駕する結果になると! 生きるに不必要な知性があるが、瞬間タガが外れると奇跡が起こる!
それは創作だ。昆虫、魚類、両棲類、爬虫類、鳥類、ヒト以前の哺乳類。これらは子孫繁栄のために生きていた。言うなれば自らの証しを子に託した時点で存在理由を放棄したのだ。
しかしヒトには創作力があり、子孫以外に残すべき理由が存在する。それが悪なのかどうなのかは別問題だとして。
創作はヒトに優劣を与える。悲しい事実。その真っ直中で生きる。いや、そうしないと生きられない。
泡のように簡単に生まれては消される。儚い命を灯のように、日々ヒトは見つめながら生きているんだろう。 この競争はいつまでも続く。負け犬がいつの日か英雄になるまでは。
2007/1/1| kawauchi |
正しかった決断
出会いはとても重要だ。迂闊にそれを求めようとすると、決まってばちの悪い別れ方をする。これは男女の恋愛だけでは無く、一般での話。
仕事、学校、身内、友達の紹介、突発等…出会いには星程選択肢がある。それはつまりその機を作ろうと思えば誰でもいとも簡単に作れてしまうと言う事だ。
最近はその手段も増え、会わずともメールのやり取りだけで知り合い以上の関係になる事も可能なんだとか。別段それは手段の一つなだけで今回の議題では無いが。
私自身最近、バンド内でメンバーを増やしたく、ギタリストの方と知り合いになった。 始めは全くそんな気など無く、別件でお付き合いをさせてもらっていたが、その方と幾度か接するうち人間性と他人に対する思いやりなどが長けている、それに伴い順応性のあるギタリストだと言う事が解りました。そんな時自分は何と幸運だと思わずにはいられない。探そうにもなかなかいない人材。併せて素性や性格に粗が見えない。
無論、私のバンドに入って欲しいと頼み、今日という日に会いました。話す内相手が音楽に何を思い、そしてどんなサウンドが好きなのか、朧気ながら解りつつも、さりげなくこちらの真意や希望も伝えました。
ランチを取りながら小一時間。団欒なんだけど、一抹の不安が過ぎりました。それは相手が果たして私を気に入ってくれるかだ!こちらは相手をバンドメンバーとして適役かを見定めていたけれど、相手としたら初めて私の希望を聞いたわけで、人間性など知らないに等しい。幾ら必死に口上を垂れても解るわけが無いだろう。なんせ私ですら相手の上面を知るのに、数回の会合が要ったのに。
案の定相手の答えは再考。そりゃそうだろう。考えれば当然の結果。私は加入が必然な話し方に対し、相手は先ずはゼロから私の想いを聞くことからスタート。基礎が違った。
いや、しかしこれでいい。安直に返答されて、後で後悔や辞退はこちらとしても痛い。相手の選択は正しい。そして私が浅はか。
相手の胸には2歳の子供がいました。可愛くて、大切にされている。それを目の当たりにした瞬間、少し私の心が冷えました。何故なら、
ああ、この方には大切な人がたくさんいるんだろう。そんな人からあまり時間は奪えない…と感じたから…
2006/12/9| kawauchi |
美食家と音楽家

最近グルメ番組が多い。よくも悪くもいかに日本人がグルメ番組が好きかって証拠だ。
以前ニューヨークに一月程滞在した際、テレビを見たがそういった類いの番組が皆無だったのを覚えている。
文化なんだろうか…この国特有の。確かにアジアは食に関しては欧米に負けない深さがある。しかし日本は特別大袈裟な気がする。 有名人がアホな顔をして「美味いわあ」ばっかり。そりゃ美味いんやろうがこっちには解らんよ。素材が良かろうが、料理人が三ツ星やろうが、料理ってんは食べてなんぼ!主観では計れない。されどテレビをつければ軒並み放映。
分からん……音楽ならばその場で聞いてある程度判断がつく。
ニューヨークでも圧倒的に音楽番組が多かった。つまりテレビという限定された情報では音楽の方が効果的なんだと分かってるからだろう。視覚で綺麗な食べ物でもハリボテの可能性もある。ただ音楽ならば鳴っている音だけで判断できる。極端に言えばヴォーカルが誰でも良い音楽なら問題無い。ルックスだけでファンになるならば別だが。
つまり同じテレビというフィールドにいさせられている美食と音楽、この根底を変えないとドンドン違う方向に進んでしまうんでは無かろうか…
見掛けや高い食材だけで店を選んだり、アホなパフォーマンスや妙なルックスでCDを買ったり。 考えてすぎかもしれないけれど、自分なりの世間への警鐘やと思ってます。
2006/11/26| kawauti |
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